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楽しいから楽しいと言えば「やせがまん」とよばれ、
幸せだから幸せだと言えば「負け惜しみ」と言われ、
生まれてきたことを祝福されれば「不健康」とよばれる世の中だが、
だからこそ、やることは山ほどある。
季節がやってきましたね。 大’さん、今年もいいもの集めましょう。 でわでわ
3/30, 31 はえぼしモーグルフェスティバルだったのだ。土曜日はコース設営,日曜日が本番。今年のコースは石子ゲレンデで,全長 140m,平均斜度 18 度。雪質は完全にザラメ。本番の日は忙しくて飯喰えなかったくらいで,雷雨も薮こぎもなく,つつがなく終了しました。
ちなみに,えぼしは今週末でクローズで,石子第二リフトから下のコースはすでに幅 5m くらいの通路になってます。さらについでに,今年の月山モーグルフェスティバルはお休み。
というわけで,ログを回したのだ。怒濤の年度末のけいじわんのログ。
桜ばっかり気になってたけど,そういや宝の山シーズンでもあるんだな。最近偵察に行ってないなぁ。しかしそれ以上に問題なのが部屋のスペースなのだ。さすがに 30 台以上もあると場所を喰う(当り前)。
そういやこないだ秋葉原で,5 inch の液晶パネルを 1,000 円で買ってきたのだ。おそらくパチンコ用のカラー液晶だろうとは思って web で調べてみたけど,ドキュメントも情報も何もなし。S-10374A って番号が基盤に印刷されてて,アダプタ取り付け部と思われる CN1 って枠に 14 個のハンダ付けスペースがある。パターンを眺めた限りでは,どうも 14 個のうち真ん中の二つが電源と GND っぽい。メインと思われる IC は,日立の HD66205F が3つと HD66204F が4つ。オシロスコープがないから基盤の解析もできないしなぁ…って,あってもやり方知らないけど (^^;;。さて,どうしたものか。
いやいや,暑かったよ今日は。仙台の最高気温は,2 ヶ月ほど先取りして 22.4 度だったらしい。桜も一気に咲いたので,外に出ると気になってしょうがない。(^^;; この勢いだと,今週末には散りはじめてたりして。でも,日が暮れると途端に肌寒くなってくるあたりはさすがに仙台だ。
4月はスキー場に不自由な時期なのだ。月山もエコーラインの雪渓も除雪がまだで道が開通してなくてたどり着けないし,近所のスキー場はみんなクローズ。飛ぶ人達はすみかわに行くみたいだけど,飛ばない俺には夏油くらいしか選択肢がない。しょうがないから,今週末は花見に専念しようかなぁ。
どもども。N 氏の結婚式の時に生 aito さんを目撃出来るかと思ってたんですが,スレ違いでした。残念。ほんとにそのうち何かしましょう。でも,花見のシーズンはいろいろ忙しいうちに終わっちゃいそうですね。どうでもいいけど,「長町南と富沢の間あたり」ってことは,一昨日の夜中の洗車の帰りに裏道探検ですぐそばを通ったかも。
などと書いていたら,Subject: Internet Security Update なメールが。
Microsoft Customer,
this is the latest version of security update, the
"29 Mar 2002 Cumulative Patch" update which eliminates all
known security vulnerabilities affecting Internet Explorer and
MS Outlook/Express as well as six new vulnerabilities, ...
らしい。ちゃんと日付けが update されてるなぁ。(^^;;
ところで,今週末あたり花見やらない?>誰とはなく
こないだ「MS-Unisysの“反UNIX”キャンペーンサイトはUNIXベース」なんて記事を見つけてちょっとウケてたんだけど,さらにその続報が。素直に読むと FreeBSD から IIS に変更した途端にコケたようなんだけど,事実は小説より奇なりというよりは,教科書通りという感じ。さて,沈黙を破る時に,これについての説明はあるだろうか? 仕様?(おい)
職場 network のトラブル(DHCP で変なアドレスを割当てられてしまう)の原因が,どうも設定を誤った AirMac のせいらしい事が分かってきた。しょうがないのでまたドキュメントを書いた。無線 LAN って確かに便利なんだけど,設定がいい加減だと他の意味でもヤバイんだよな。
いや別に無線 LAN に限った話ではなく,妙に便利なモノが妙に手軽に手に入るようになると,大学みたいな巨大 LAN では同様の問題が発生する。ハッキリ言って,端末が 4,000 も 5,000 もあるような network を末端まで把握するのは無理だし,どこに穴(ppp が動いてたりとか)が開いてるか分かったもんじゃない。使用禁止令を出したところで使っちゃう人は使っちゃうんだし。こんな状態で,良くも今まで大問題なしに動いてると思う。お子ちゃまクラッカーが増えたりウィルスが流行ったりしつつも,世の中はまだまだ平和なんだな。しかし,それにあぐらかいてる平和ボケな管理体制って何とかならんものか。
ついでなので,しゃちょーの Yahoo BB の話の元ネタ。
で,上流側に対して DHCP server をやっちゃうってのは,どうも AirMac 管理ユーティリティの version にも依存するようです。旧型 Base Station 時代の 1.3 や,新型時代の 2.0, 2.0.1 あたり(旧型 Base Station でも使える)だと,「IP アドレスの指定」にチェックが入ってると(cf. AirMac Base Station の設定の図4)危険みたい。version 1.3 では「Ethernet 上での DHCP サーバを使用可能にする」ってスイッチがあって,これを off にすれば逃げられたけど,2.0 ではこれがないので「IP アドレスの指定」だけでダメになるようです。最新の version では上流側に対する DHCP 機能が off になってるって噂もあるけど,2.0.1 の話か 2.0.2 の話か,はたまたただのデマかは不明。このあたりの話はまだ未確認(実験はしてない)です。
AirMac 管理ユーティリティの全 version(ただし 1.2 以降)について調べ終わったぞ。AirMac 設定ドキュメントも更新した。基本的な設定項目は,1.2, 1.3.1, 2.0.1, 2.0.2 についてはほぼ同じ。問題は新型 AirMac Base Station に同梱されてくるらしい 2.0 で,この version だけは次の点が他の version と異なっている。
で,これらの変更は version 2.0.1 では 1.3.1 と同様に戻されているので,大 Apple 様が「これはマズい」と思ったんじゃないかと想像。何しろ「IP アドレスを指定」にチェックを入れるだけで上流側の DHCP server 機能が on になっちゃうし,何よりも,このチェックが default で入っているのだ。要するに,とりあえず繋いでみたけど良く分かりません!なんて時には,(その network で DHCP を使ってれば)確実に接続を妨害されてる被害者が出てるのだ。
しかし「これはマズい」と思ったんなら,同梱する管理ユーティリティの version も 2.0.1 にしそうなもんだ。最近出荷してるのはそうなってるのかなぁ。もっとも,他の version でも設定を間違えれば同じ騒ぎが起こるので,この機能がある事自体がかなり疑問だ。おうち LAN とかだと使いそうな気はするけど,裏設定とかにしておいて欲しい。…って,メインな顧客はそっちなのかな。それにしても,default は安全側に振っておいて欲しいなぁ。
例のドキュメントの読者からの素朴なツッコミで思い出したけど,新型 Base Station って Ether の port が2つあるんだった。素朴に考えると旧型 Base Station の唯一の Ether の port は新型の LAN 側 port に対応してるんだと思うんだけど,WAN 側 port の動作については実験できてないのでこれも調べなきゃ。問題は新型 Base Station がないことだ。(^^;; どっかで実験機を手配しなきゃ。
ついでながら,PowerBook G4 って AirMac card の取り付けに Torx ドライバ(多分 T-6)が必要なのね。「AirMac card は,お客様御自身でお取り付け下さい」ってポリシーだったんじゃなかったっけ?
32 万個の LEGO で出来たサッカースタジアムが青山のスパイラルに登場したらしい。生で見たら結構すごそうだな。写真だと分からないけど。場外で逮捕されるフーリガンを見てみたい(おい)。…というわけ(?)で,LEGO watch を買ってしまった。とりあえず無駄な機能が多いモノを選んだ。方位磁針もモールス記号表もついてるぞー。なんでやねん。4月になったら新しいのが入って来るって店の人が言ってたけど,まだ入ってなかった。
ところで,仙台市では「プラ曜日」が始まったのだ。容器包装リサイクル法に基づくモデル事業で,「プラ」印の容器包装(という割には,当然ながら印が付いてないのもある)を分別して週1回出すのだ。しかし,これがなかなか難しい。基本的にはビニールやプラスチックやスチロールなんだけど,容器か包装じゃないといけないらしい。ただ,「PET ボトルのラベルは,剥がすと PET かどうか判断できなくなるので PET ボトル回収(缶,ビンと同じ日)に出す」とかなんて変な例外も。瓶のビニールラベルはプラで良いのかなぁ? あと,袋に貼り付いてる紙ラベルなんかは大変だったら剥がさなくて良いらしいんだけど,プラ用のゴミ袋に家庭ゴミがちょっとでも混じってると回収してもらえなかったりなんてのは,どうもスッキリしない。まぁ,家庭ゴミ(焼却)にプラが混じってるのは構わないけどその逆は困るって事なんだろうけど,どうせならそういう説明をしておかないと,結局不純物だらけになったり回収率が上がらなかったり(分からないから全部家庭ゴミ!とか)しそうだ。そんな訳で,昨日は部屋のゴミ箱を漁って分別してたのだ。結構大変。
AirMac でバタバタしてたんで書いてなかったけど,前にちらっと書いた MS/Unisys の反 unix キャンペーンサイト「We have the way out」は復旧済み。ただし障害の原因についてはコメントを避けているらしい。それにしてもこのサイト,名前やメールアドレス,会社名,電話を登録しないと何一つ読めません。そういうのって "free offers" って言うのか? そういう馬鹿馬鹿しい囲い込みから出て来る道はなかったんだろうか。
で,恐らくは多くの人の予想通り,パロディサイトが続々と登場しているらしい。なんかイマイチな気がするけど,とりあえずリンク。
「筋ジストロフィーの女性に「入学見送りを」 東京福祉大」なんて記事が asahi.com に。「福祉」と名が付く大学でこれじゃぁ… 福祉をする人ってのは弱いモノを助けてあげる偉い人で,弱い人が福祉しようだなんてオコガマシイという事なんでしょうか。世の中こんなもんなのかな。なんかグッタリ。
ADAが必要なんだわ。
「別に金がなくてもいろいろ方法があるだろー?」 「教育現場での公平性について考えたことがあるのかー?」ということなのだが,要は「やる気がない」のがホンネだから 突っ込んでも無意味だよな,やっぱり.
その一方で,入学は認めてお客様扱いってケースもある. 成績が悪くても「身体障害があるんだからしかたがない」で通してあげたりとか. その根拠が「身体に不自由があるので答案を書くのに時間がかかる.だから試験成績が悪い」 と言うのなら, その学生だけ試験時間を倍にして採点は平等にするとか,そういう発想がなぜ出てこない?
うーん。そういう発想がなぜ出てこないかと言うと,やる気がないからなのでせう。(^^;; お客様扱いするってのにも,単に扱い方を知らなくて『過保護』になっちゃうってパターンもあるだろうけど,『ウチの学校はこんな学生も受け入れてます!すごいでしょ!』って広告塔だから大事に扱うってのもありそうだな。ま,東京福祉大の話は広告塔の逆パターンになった訳ですが。
どっちにしても,要するに「障害を持っている」のが「珍しい人」だからですよね。「珍しい人」にはやたらとそこらで出会ったりしないので,接し方も分からないし何かと話題になっちゃう。ただ,もろもろの障害の発生率から考えたら,そんなに 珍しい訳がないんだよな。という事は,障害の有無で外を出歩く(ける)率が大きく違うと。出入り口にスロープを付けて「バリアフリー」をうたったりするのも一時期流行ったけどそんなのせいぜい「車椅子フリー」にしかなってないし,物理的に到達できるようになったってそこかしこで特別扱いされるんじゃ窮屈でやってられないだろうし,そういう事の積み重ねが障害者を「珍しい人」にしてるんだろう(などと,分かりきってる事をわざとらしく書いてみる)。
障害の有無とは関係なく行きたいとこに気楽に行けるように,自然にだんだんと社会が変わって行く…なんてことはまずないだろうから,根本的な改善にはやっぱり ADA が必要なんですかね。細かいとこは良く知らないけど,普通に社会に出てくるきっかけにはなりそう。
どうでもいいけど,Americans with Disabilities Act って名前を付けちゃうのって何かスゴいセンスだ。日本だと JDA だったり,一般的に P(eople)DA だったりしないのかな。(^^;;
一か所一か所、望みのありそうな所からレベルを上げていくなんてのが、性に合わないだけかも(笑)。 「どこへ行こうが、必ず最低限これだけは」っていうのじゃないと、気に入らないのね、私。強制が好き! もしかして、暴君体質? ただのせっかちだと思ってるんだけど、自分じゃ。 「当てにできる」状態ってのが好きなのかな。「そのつもりでいられる」っていうのが好きなのかも。 強制力のある法律があったって必ずしもどこでも守られてるとは限らないけど、「オラ、違反やってわかっ てるんやろうな」と言えちゃうのと、言えないのとじゃ、こっちの胸の張りかたが違ってくる。交渉してな いときも、交渉する必要に迫られるような問題が持ち上がってないときも、何でもない「常日ごろ」から。
http://www.asahi.com/national/update/0410/037.html
文部科学省は10日、理系のエリート養成をめざした理系教育研究指定校「スーパーサイエンス
ハイスクール」に、23都道府県の26校を指定すると発表した。
なんだかなー、という気もするが、ま、とりあえずこれはよしとしよう。。。
英語分野でも同様に「スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール」に、13都道府
県の18校の指定を決めている。
ならば文部科学省には同様に、「スーパー古文ハイスクール」や「スーパー漢文ハイスクール」の指
定もお願いしたいところだ!
「スーパーサイエンスハイスクール」ネタは,最近閑散としていた「教育ってどうよ」に振りました。教育改革国民会議が消滅して久しいので,思いっきり広い名前に変えたのだ。:)
リンコさんが書いた,その「常日頃」ってのが難しいんだと思う。現状の多くの人にとっての「常日頃」には,障害を持つ人との関わりなんて含まれてないんだもん。で,それが「常日頃」になるようにするためには結局 ADA 的なモノは必要なんだと思う。もしくは,もろもろの理由で出歩かない人に対して,出歩く事を強制するか(おい)。もちろん ADA みたいなのを制定したら十分だって訳ではない。でも,多少は「常日頃」度が上がるんじゃないかと思って。パラリンピックの TV 中継が増えるより,近所の障害を持つ人と出勤や買物の時にバッタリ会って挨拶する方がよっぽど効きそう。
この件に関しては,別にリンコさんがせっかちって訳じゃないでしょう。俺はそんな事考えなくても,「常日頃」暮らすのには困らないんだもん。なんだかんだ言ったところで,当事者と野次馬の差は大きい。Subject: に「ADA がないとダメってのも,ちょっと悲しいが」なんて書いたのは,多くの人に ADA なしに普通に振る舞える程度の想像力もないとしたら悲しいという意味。いや,ホントにないみたいだけど。(^^;;
ちと設定を間違えてて,「教育ってどうよ」が読めなくなってましたが,直しました。
うーん。もうあんまりグッタリさせないで欲しいのだ。でも,こんな話を聞かされたら,グッタリもするっつの。なんか,国立の病院の職員って肩書きが嫌になってくる。
黒木さんの「なんでも掲示板」で,会話を持たせていただいた者です.
ネタとしてはこちらに移動した方がよいかな?という書き込みがあったので,覗かせていただきました.実は,リンコさんにお尋ねしたいことがございまして書き込んでおります.
仕事について「ゆっくり」とか「競争にのらないで」について「へっ?」と思う,云々を書かれておりましたね.私の素朴な疑問として,健常者が障害者の方に「自分のペースでね」等と声をかけることは,云われてみれば,「健常者」集団から「障害者」集団へのダブル・スタンダード(二重基準!(笑))なのですが,それは障害者の方々を心理的に傷つけることなのでしょうか?もちろん,状況に非常に依存するとは思いますが,そのあたりのご意見を聞かせていただけると有り難いです.というのも,そのような声って意識しないとなかなか入ってこない情報なものですから.お恥ずかしながらリンコさんの書き込みを読むまではそのようなことを意識していなかったもので.よろしくお願いいたします.
議論を蒸し返すつもりはないのですが,「聴者が聾者にダブル・スタンダードを課していないか?」という疑問は,deaf を disabled (私は disabled よりも challenged くらいの表現を使いたいのですが,記事では disabled を使用していましたのでそれに準じます) とみなすかとも関わっており,それは医学・生物学的な機能としては明らかに通常ではありませんが,それを「健常」からみた「障害」という「基準」だと議論されるともう泥沼というか何というか.....という複雑な心境に至ったわけです.この件についても,私が「健常者」という立場からもう一度考えるべきだ!みたいなご意見があったら教えて頂けると,思索が深まります.お時間があるときで結構です.よろしくお願いいたします.
↓の書き込みで,私は「リンコさんに聞きたい」と書きましたが,特にリンコさんという限定ではありません.もし,他の方で何か考えていることやご意見がありましたら聞かせてください.
それから,文脈から私はリンコさんを障害をもたれている方と思ったのですが,もしかして,はずしてる?という可能性もあるわけで,そうだったら的外れについてご海容の程をお願いいたします.につけても,私の書き込み内容について何かコメントがあれば,よろしく!
ろうのレズビアン二人が,子どもをほしくなった.自分たちと同じろうのこどもがほしいので, 遺伝的に聴覚障害を持つ男性の精子を希望した.(聴覚には異常ないけれど ろう文化の子どもの場合は……という話はとりあえず置いておく).
両者の間に何が違うのか?一方を可として他方を不可とする理由はあるのか?ってことですよね.
「両者の間に何が違うのか?一方を可として他方を不可とする理由はあるのか?ってことですよね.」
なのですが,その点については,『私的所有論』を読む必要性を感じまして,現段階では,私自身がまともな議論をする基礎ができていないと感じております.よって,そこに到達するまでの同時移行プロセスとして,これまで私があまり真剣に向き合わなかった障害者の方々の意識について,まず「ダブルスタンダード」という切り口で接してみたいと思ったのです.
ですから,ふるかわさんの問題提起は,この掲示板にて公の問題として提起して頂ければ,と思います.私は,せっかくの機会ですから,もしお答え頂けるのであれば,下に書き込んだ関心から出発したいと思っております.
えーと,このネタは黒木のなんでも掲示板の,「米でろうの女性同性愛カップルが人工授精にろう者の精子を指定」って掲示からの一連の話の続きです。>流れが見えない人 …ってことで,いらっしゃいませ。>Youmon さん
なんか Youmon さんは「ダブルスタンダード」って単語の用法をイマイチ把握できてないだけのような気がします。例えば
障害者の方に「自分のペースでね」等と声をかけることは,云われてみれば,「健常者」集団から「障害者」集団へのダブル・スタンダード(二重基準!(笑))なのですが,(略)
だと『A から B へのダブルスタンダードが云々』って構文なわけですが,『C が A と B の価値判断をするのに異なる基準を適用する』ってのがダブルスタンダードですよね。だから,『大' が A さん(仕事が速い)には「もっと頑張れ」と声をかけ,B さん(仕事が遅い)には「うんうん,ゆっくりね」って声をかけた』なんて時に,大'(の行動)はダブルスタンダード!とか文句を言われるわけです。
んで本題ですが,「ゆっくりね」ってのが侮辱になるかどうかってのは,その人の能力次第でしょうね。新人がベテランの仕事の速さを見て慌てて作業してるのを目撃した上司ならミスを増やさせないためにも「ゆっくりね」と声をかけるべきだろうし,タイピングに不自由しない障害者(目が見えないとか足がないとか)の打ち込み速度を見て「ゆっくりね」とか声をかけるならそれはただの阿呆。だからこれは,障害の有無とは関係ないでしょう。単なる個人の能力の問題。だから多分,リンコさんの「え?」って掲示は,本人が苦労してない仕事なのに「ゆっくり」とか言われたって話だと思うのだ。
で,deaf でも disabled でも challenged でもいいけど(こういう Politically Collect 運動自体,アホ臭いと思ってるので)そういうのは,本人としては「障害」ではなく「個性」だととらえてる,という話もあります。「背が低い」「目が見えない」「足が短い」「左足がない」…なんてのは同列だと。身体的な特徴だけでなく,精神的な特徴に関しても同じ。となると,通常かどうかと言うよりは,多数派かどうかって話になるわけですよね。さらに,話題になってる聾者は(ふるかわさんの掲示にもちらっと書いてあるけど)独自の文化を持っている集団 (世界ろう者会議に参加して──ろう者は言語・文化集団あたりを参照)だそうで,こうなるともう民族と呼んで構わないレベルだと思う。まぁ,このあたりから,「白人指定」と「聾指定」は同じ(はず)じゃないか,片方だけに批判が集まるのはダブルスタンダードだ,ってな例え話が出て来たわけです。ちなみに,他の障害についても独自の文化を形成してる例はいろいろあるそうです。この辺の話は,リンコさんが館長をやってる自閉連邦在地球領事館附属図書館の蔵書を漁るといろいろ勉強になります。
この掲示を書いてて気付いたけど,外人倶楽部にリンク切れがありました。「手話について知りたい」と「手話文法研究室」(移動先へのリンク)。>リンコさん
「ふるかわさんの問題提起」って言うけど,ふるかわさんの掲示はリンコさんの問題提起の単なる言い換えなのだ。
で,俺としては(なんでもの掲示にも書いたように)ダブルスタンダード以前のとこで引っ掛かっちゃうんだけど,ふるかわさんやリンコさん,それに Youmon さん自身も,どういう意見を持っているのかズバリ聞きたいです。
と,思いつつ(笑),
まず,ちょっと細かいことにこだわるようですが,ダブルスタンダードって
内集団と外集団に対するスタンダードであると解釈すると,集団のカテゴリーは二つだから,AとBで語られるのだと思いました(この解釈が間違っているのならばもう一度出直します).だから,A集団に属する者がA集団とB集団に対してスタンダードを想定しているということではないのかと.もしくは,B集団に属する者がA集団とB集団に対してスタンダードを想定している.この認識があったので,「健常者」集団が「障害者」集団に対してと表現したのです(私の意識では「健常者」が内集団で「障害者」が外集団).
「ゆっくりね」云々については,私の質問形式がよくなかったので変更します.具体的に,障害者の方が「これはダブルスタンダードだ」って思った具体例にはどんなものがありますか?
それから,またまた質問です.言葉へのこだわりが政治的な意図を含んでいるのは分りますが,言葉の変化にも気を配りたいと考えている者としては,障害者の方が持つ能力に積極的に目を向けて使用用語を変更していくという認識的(もしくは思想的)な流れとの違いを説明していただけると有り難いですね.実際に mental retarded が使用されなくなったのは「遅滞」という認識に対する変化から派生していると理解していたもので.
「ズバリ」の意見ですね.私は,このケースについては,親がこれから生まれてくる子供の能力の一つを「自己決定」なるオブラートによって傲慢にも奪ったと解釈しています.
ごめんなさい.すぐ下の大'さんの書き込みを読む前に投稿したので,流れがぎくしゃくしてます.
「この二人がどうすべきだったか」は、よその家のことだから、私が口を出すことじゃない。 ただ、「CODA(ろうの両親から生まれ、育った聴者)の当事者はどう感じるのかな」と、知りたいと思った。 もちろんCODAの方々だって一枚岩じゃないわけで、ここで私が言うのは集団としてのCODAじゃなく、個々の CODAの個人のことですけどね。 ただ、こういうケースが「初」っていうのがすごく意外だった。もっと素朴に、とっくにいっぱいいるのか と思ってたし。精子銀行で断られるってのも「なんでー?」ってほんとに素朴にふしぎで、「ひどいじゃん」 って思ったかなあ。 で、批判が集まってるって点に関して、「ひでーー」って思った。このままじゃ聾の異性愛者カップルの自 然な出産に対する批判も、どさくさにまぎれて高まるんじゃないか(っていうか、昔から、されてるよな) と、すごい恐怖を覚えました。 まー、レズビアンそのものが怖がられてるとか、嫌われてるとか、その要素が入ってる? って思ったり。
私の解釈がちと狭かったようです.
「C が A と B の価値判断をするのに異なる基準を適用する」
の説明において大'さんは,A,B,C を集団の要素と捉えていて,集団の定義というものは現実の生活場面では状況により変化するのだから,「ダブルスタンダード」って云われてもね.....みたいなことだったのかと.
そういう観点からは,私の「障害者の方が“これはダブルスタンダードだ”って思った具体例にはどんなものがありますか?」という質問は,あまり「意味」をなさないことに気付きました.それは質問に意味がないということではないのですが,あまり具体例にこだわってバイアスをかけるのも問題ですしね.本当に興味があって実態を知りたいのなら,私自身が障害者の生活世界に入っていけよ,ということですね.
と,何だか自己完結気味なのでした(笑).
ってなると、私の用語の使い方ははっきりいって広すぎ。とゆーか雑。連想でモノ言ってるやつ。 仕事でかりかりするなとかゆっくりとかいうのをいわれたときの感覚は、そーだなー、 http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/2000/010300mm.htm の中に出てくる、盲人の化粧についての石川准の言及に近いものも混ざっていたのであった。 だから、ここで私が「ゆっくり」の件を持ち出したのは、間違ってますね。
盲人の化粧についての石川准の言及ってのは違ってたな。 盲人の化粧について最初に語ったのは倉本智明だと思うんですが、それに対する反論への再反論に、石川准 の「用語が」援用されているだけだったなー。スミマセン。
問題を簡単にするために,ここに日本人の夫婦がいて,あいにく男性側の理由で不妊だったとする.でも子どもはほしい.で,しかたがないので他の人の精子を使うときに,日本人男性の精子を利用したいと希望することは,そんなに問題あることなんだろうか(ま,問題あると思うのもひとつの考え方かもしれん).
そして,ろうの夫婦がいて,でも男性側の理由で不妊なので,代わりに他の聴覚障害の男性の精子を使うことにした.どっちも似たようなものと思うけどな.
そこで子どもの奪うとかなんとかって話だけど,「だからダブルスタンダードが関心事ではない」って, 要はダブルスタンダードを自分でやってるくせに,「奪う」とかって理由をつけて実はダブルスタンダードやってることに 気づいてないんだよね.
個人的には.ろうの不妊夫婦が聴覚障害男性の精子を求めることがあるとすれば,そこにはかなり 切実な背景があるだろうと思うのだ(日本人の不妊夫婦が日本人男性の精子を求めるときは,ほとんど 何も考えずにそれが当然と思うのと対照的に).その切実さを私は考えてしまうな.
あとはこれを読んでくれ。 http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A23194-2002Mar27.html でも安心して。休むってのは文字通りの意味だから。私はまだまだ生きて働くよっ!
だってさ、最初のワシントン・ポストの記事が(昨日張ったURLね)、孫引きによって、こんなふうに↓なっちゃうんだよー。 http://www.thisislondon.com/dynamic/news/story.html?in_review_id=545846&in_review_text_id=511810 なんか悪意で書いてるとしか思えない記事。
「酔っ払いモードなので,何を言ってるか細かいことは問わんでくれい.」
というご希望ですので何も申し上げません.大'さんが紹介してくださったニキさんによる「自閉連邦在地球領事館」のホームページと「世界ろう者会議に参加して」の記事,および,ニキさんが紹介してくださった「松波めぐみさんの修士論文」を興味深く読ませて頂きました.情報提供をどうも有難うございました.
私の口癖である「あー,...」という書き込みの後に,ニキさんが「あうー」といって書き込まれていたので,これまでの内容を読み返しながら,「あー,あー,あう,あう」の連携に思わず笑ってしまったところです.おそらく,いろいろと考えながら書き込んでくださったと思うので,お疲れだったと思います.そのことに対しては心から御礼を申し上げたいです.有難うございました.
私は人間が生きていく上で「ダブルスタンダード」という問題は簡単に解決できるものではないと考えます.しかし,だからといってそれを放置するのではなく,自分が気付いたところから徐々にそれを改善することはできると思います.そのためには,感情を抑えた気長で抑制のきいた話し合いが必要になるとも考えています.とだけは述べさせて頂きたいです.それでは.
ふー,一仕事終わったので,休憩タイム。イマイチ追いつけてないので,ちょっとずつ書きます。
とりあえず,ズバリな意見をって質問自体がズバリじゃなかったですね,すいません。(^^;; リンコさん(いや,ニキさん?)には通じてたようですが。この質問は,精子をもらってくる場合の「人種指定」「聾指定」の両方について,それぞれ肯定的か否定的か(と,その根拠)を聞いてみたかったんです。今回のカップルについてではなく,一般的に。ちなみにこの2つについて異なる意見だったとしても,それがダブルスタンダードかどうかは本質的な問題じゃない。ダブルスタンダードに見えていても,実は肝心な違いを見逃していたとか,ある基準を重要だと思うかどうかの違いだけなんてこともあるだろうから。重要なのは,それぞれどういう根拠で肯定/否定するか,ですよね。
でもまぁ,それぞれ答らしきモノ(ふるかわさん,リンコさん,Youmon さん,ついでに俺)を聞けましたね。ただ,youmon さんが「人種指定」についてどう思うかがハッキリしてないか。
あと,酔っ払いのふるかわさんが書いてたのは,多分これのことじゃないかと。マルハナバチさんのページの「ろう文化は自閉文化のモデルになりうるか」。
自分たちと似ている、あるいは、パートナーと似ているという理由で精子提供者の人種の指定、聾も含めた 身体的特徴の指定は、アリ。 その方が、自分や周囲が質の高い子育て環境を準備してやれると思うのであれば。 精子の質と関係ない、精子提供者の民族や使用言語、宗教、経済状態の指定は反対。私が「日本人」と言わ ず、「日系、韓国系、あるいは中国系の精子」っていう比喩を使うのはその辺をはっきりさせたかったから。 つまり、「同じ黒人でも、中米や北アフリカからのニューカマーはダメ。南北戦争前からアメリカにいた黒 人指定」とか、「まだアフリカ在住の黒人指定」とかいうのは反対。聾学校に通い始めた年齢、手話の流暢 さ、手話以外のコミュニケーション手段の非・流暢さ等々でドナーを選ぶのは反対です。 ただし、精子銀行や新聞広告じゃなく、個人的な友だちに頼む場合は、あとあと提供者とのつき合いがたと えば名づけ親的な関係として喧嘩別れしないかぎりは続く可能性が高いわけで、その兼ね合いで、ウマの合 う人を選びたくなるのはしょうがない。そうなれば、ろうや手話に対して肯定的な姿勢の人とか、韓国系や 中国系とか日本人とかよりも日系優先とか、同じ中米移民の黒人とかを選びたくなることはあると思う。で もこれは精子の質の問題じゃなく、生まれた子の育つ社会的環境のひとつである、ドナーとのその後のつき 合いの質を考慮してのことだからね。 そういうわけで、「自分は平等な意見の持ち主である、自分は進歩派である」ってことを誇示する目的で、 ことさらに貧困層を指定したり異人種(あるいはロシアンルーレット式選択)を指定したり自分のアイデン ティティと無関係な別の障害を指定したりすることにも反対。 ただ、聾の精子提供者を探してたら、たまたま黒人が名乗り出てくれたとか、たまたま自閉のろう者が名乗 り出てくれたとか、そういうのはアリだと思う。目的が「自分が平等な意見の持ち主であることを誇示する こと」ではないから。 ドナーの身体的特徴の指定によって(それは必ずしも子どもの身体的特徴の指定にはならないが)、生まれ た子どもが、アイデンティティ形成の段階で「アリモノ」の転用やツギハギからスタートできるのはお得だ と思う(親の選んだ属性に反発するのもアリだけど、反発することだって「反動の対象」という形で親の選 んだ属性を利用できることに変わりはないわけで、「不明」や「何でもあり」からスタートするよりずっと 手続き的に混乱が少なくお得)。 しかし、よそ( http://143.teacup.com/shrink/bbs )でマナー違反の失敗してしまって反省してるワシ。
私がマナー違反して恥をさらしたヨソ( http://143.teacup.com/shrink/bbs )でも書いたことだけど、 元の『ワシントン・ポスト』の記事( http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A23194-2002Mar27.html ) の邦訳って、どこかにないんだろうか、or誰かやってくれないだろうか(って、私がいまやって編集者にバ レたらどーすんだ)。 何かこう、こういう記事 ( http://www.thisislondon.com/dynamic/news/story.html?in_review_id=545846&in_review_text_id=511810 ) だけを下敷きに(前提に?)話が進んでいくのって、すげー隔靴掻痒。
ここは甘えてないでがんばらないといけないところなんだけど、「感情を抑えた気長で抑制のきいた話し合 い」をするためのコストは、万人に同じとは限らないことは知っといてね。 私にとっては、聾児が誕生する確率を増加させる努力をした(それも、ドナーを探すのに努力が必要なだけ で、格別に侵襲的な操作が加わるわけでもなく、手順的には聴者ドナーの精子を使用した場合とまったく同 じ)ことに批判が集まる、そういう世の中で私は死ぬまで日々を生きのびて行かなくてはならないんだと確 認することは、全身から白煙が(ワタボコリかもしれんが)出るほど、覚悟を迫られることだったんですよ。 「私だって、なるべくなら生まれない方が本人のためと多くの人々の目には映る存在なのだ」という事実を、 そして、健常者より価値が低いと見られながら生きていくしかないのだということを、(もちろん今までだ って知らなかったわけじゃないけど)改めて突きつけられ、またしても想起させられるわけですからね。 うちの図書館のインデックスページの右上部分に小さいフォントで書いてるとおりの気分なのだ。だから、 「私は滅びないぞっ」っていうのは、本当にストレートな感想なんですよ。
ので,部分的な反応を。
そうかぁ,「自分に似てるのを指定なら ok」って切り分け方もアリですね。なるほど。それは非人工受精の場合には大概実現されてる範囲だもんな。「指定」を ok にすると,人工受精の場合だけワガママ放題できることになりそうで嫌だったんですよ。そもそも受精なんて段階をヒトがいじっちゃうのが嫌なのに,ましてやそっちがお得だなんて!という感じ。でも,こういう限定を付けるってのは思い付かなかったな。親や親が属する社会のアイデンティティに重要な身体的特徴を指定するってのは納得がいく。子供も社会もその方が幸せそうだ。その点に関して,人工受精の場合だけを不当に不利にする理由はないもんね。
ただ,どの特徴を指定するかを好きに決められる(100% にはならないけど)というのがちょっと引っ掛かるかな。両親の遺伝子の範囲でくじ引きするという意味では,やっぱり「レズビアン夫妻の卵子と卵子で受精」の方がスッキリなのだ(繰り返すけど,そんな技術はない)。ま,ヒトがいじる範囲を超えてると思うのは,人工受精の場合と同じ(というか,こっちの方がさらに超えてる)なんだけど。
私もいろいろ考えてみたんですが,そもそも「線」がどこに引けるかを つい考えてしまうのは何故でしょうね.これについて言及しているみんなが 「デザイナーベビー制限法案」について考えているわけでもなさそうだし, やっぱり「なんとなく不安」なのかなあ.でも「なんとなく不安」から出発 する議論って,つい原理主義になってしまいそうでちょっと恐い.
まず,
ニキさんwrote:
「‘感情を抑えた気長で抑制のきいた話し合
い’をするためのコストは、万人に同じとは限らないことは知っといてね。」
わかりました.コストも違うし,また,気長という時間尺度も違いますものね.
ニキさんwrote:
「私だって、なるべくなら生まれない方が本人のためと多くの人々の目には映る存在なのだ」という事実を、そして、健常者より価値が低いと見られながら生きていくしかないのだということを、(もちろん今までだって知らなかったわけじゃないけど)改めて突きつけられ、またしても想起させられるわけですからね。
そうでしたか.ニキさんにとっての生存に関わる沈潜な問題なのですね.
それは正直に申し上げて私には想像が及ばない世界です.というより何より軽々しく触れないという感じがしますと伝えた方が適切かもしれません.
逆戻りをしてしまいますが,今回の記事を読んで最初に私の中に浮かんだのは,「病気を予防・治療する目的で必死に遺伝子を研究している学問があるのに,一体どうしてそういう使い方をするの?」という思いでした(遺伝子が私の研究領域ではありませんが,しかし,その思いの中に私のバイアスがあったことは否めないです.)この点については反省します.ま,それが故に,「deaf を disabled とみなすか,とも関わっており」と伏線をはったのですが.障害に関する考え方等については,ここ数日の間に紹介して下さったURLがとても参考になりました.このあたりは,
aitoさんwrote:
「私もいろいろ考えてみたんですが,そもそも「線」がどこに引けるかをつい考えてしまうのは何故でしょうね.」
ということに通じるものがあるかもしれません.
私は「実践的(もしくは臨床的)」学問が,目標を見失った「手段」として「知」に位置付けられると,悪魔にでも奉仕してしまうような可能性を危惧します.言い換えれば,「遺伝子」研究がどのような目的にでも適用されてしまうということです.誤解がないように断りますが,障害が悪魔だといっているのではありません.私の中では「原爆」が戦争に使用されたイメージに近いものがあります.社会・時代の学問的流れをせき止めることはできませんが,研究者は研究と同時に「学問のオリエンテーションとしての方向付け的役割」というものにも関心を持つ必要があると考えています.今回のことでよくわかったのは,そのような「目的知としての学問」を考えるためには,私自身が無知であった「社会的現象」に関する知識を増やす必要がある,ということでした.そうした上で,学問研究の「罪作り的側面」と「貢献的側面」について考えていく必要があると実感しました.
生まれてきた子どもたち2人にしてみたら、母親が別のドナーの(聴者の)精子を選んでいたら、この世に生 まれてこなかったわけでしょ? その子たちが聴力を持って生まれてきたわけじゃなく、その子たちは生まれて来ず、別の子どもたちが(聾 かもしれないし、難聴かもしれないし、聞こえるかもしれない。ただ、聞こえる子である確率が高くなるだ け)その家に生まれてきていたわけでしょう? そして、批判している人たちの多くは、その子たちが生まれてくる代わりに(聾であろうと難聴であろうと 聞こえる子であろうと)、聴者の精子を使った子が生まれてくることの方が「望ましい」と考えているわけ でしょ? もう一つ、本当に確実に聾の子しか欲しくないなら、子どもを作らずに聾養子を迎えるという方法はあるわ けで、これは実際に異性愛のろうの夫婦がとっくに実践していることです。どっちが産まれたって一所懸命 育てるからかまいはしないや、と深く考えずに産む夫婦もたくさんいる一方、聞こえる子が生まれてしまっ たら、うまく育ててやれるかどうかわからないとか、その子だけが大きくなったら親の手の届かない世界へ 行ってしまうのは寂しいとか、子供に通訳者という負担な役目を与えたくないとか、何かいろいろな理由で 自分たちの遺伝子を持った子を作ることを最初から断念して聾の養子を迎える異性愛の夫婦は既にいるわけ です。BBCの記事によれば、異性愛のろう夫婦が、自分たちの性交渉でできた、聞こえる子か聞こえない子 かわからない胎児を中絶する例もあるとのことでした(この場合は、聾児を望む理由については触れられて ませんでしたが)。 最初から生殖自体をあきらめて避妊する、あるいは、中絶することにくらべたら、最初に、聾の精子を選ぶ ことによって聾児を授かる確率を上げたとはいえ、聞こえる子が生まれる可能性もある「自ら出産」という 道を選ぶことは、聞こえる子が生まれる確率を上げていることになるわけですよ。元がゼロなんですからね。 つまり、「禁欲or避妊or中絶&養子」だと、聞こえる子の生まれる確率はゼロ。この二人の人工授精の場合、 聞こえる子の生まれる確率は50%とのことでした。これは、十分、「聞こえる子にも道を開いた」と言って いいんじゃないでしょうか。 私がひとつ疑っているのは、「禁欲or避妊or中絶&養子」であれば、聞こえる子が産まれる確率はゼロにな る代わり、聾児が新たにひとり増える確率もゼロになり、双方の利害が一致するから大目に見てやる、って いうバイアスがないんだろうか、ってことです(これは単なるヒガミあるいは言いがかりです)。だってか つては、ろう同士で結婚したら聾児が生まれるかもしれないからって理由で仲を裂かれ、むりやり聴者と結 婚させられたり、独身を強いられたりってことが現にあったわけですもの。電話の発明者グラハム・ベルだ って、ろう者どうしの結婚に強く反対してたことは有名ですしね。 ただ、最初から何度も言ってることですが、この件について、CODAの方々だったらどんな思いを持つのかな ってのは気になるところです。この二人自身は、「聞こえる子だったら、育てかたにも不安がいっぱいだけ ど、可愛いことは絶対に可愛い」「もしかしたら、それはそれで、新しい経験を広げてくれるかも」と言っ てることだし、このカップルに聞こえる子が生まれていても、それはそれで大丈夫だったんじゃないかとは 思いますが、ただ、既に成人したCODAの方々や、若いCODAの人たちもニュースに接するわけですから、ニュ ースに接した遠くのCODAの人たちにはどう受けとめられるのかなあ、と。 だから私だって何も、「もろ手をあげて快哉を叫んだ」わけじゃないんですよ。フクザツなんですよね。
聾の子を養子にほしがる夫婦たちのために、聾児専門のあっせんグループがあるんだけど ( http://users.erols.com/berke/deafchildren.html )、そのことさえも(聞こえる子より聞こえな い子がほしいと思うことさえも)「おかしい」とか「病的だ」とか言う人たちはいる。逆に、「偉いねえ」 と言う人もいるけど、それだって、本当は聞こえる子がほしいはずなのに、慈善で引き取ってると思うから 「偉い」って発言が出てくるわけで。 操作技術の絡まない「養子」というやりかたにも「不健康」「無理をしている」という解釈が入りこみうる ということは……。 「自分たちの方がすぐれている」「羨ましがってくれなきゃいやん」という思い込みを崩された不快感に反 発する人も、中にはいるのかもしれない。
人間である以上,男性と女性という「ヘテロ」な結合でなければ「子供」はできません. 残念ながら,同性カップルは「ホモ」な結合です.そこからどうして子供をつくろうとするの?
というのが私の出発点です(おそらく大'さんと同視点).アメーバに戻ろうか?それとも,ジュラシックパーク的に同性からでも子供ができるまで待つか?
もちろん,それとは全く別に,同性のカップルが家庭を持つことは社会的(法律的)に許されるべきだと思います.婚姻形態として認め,財産の相続も許すべきだと思います.
aito さん,どもども。そろそろ生活は落ち着いてきました? 落ち着いたら是非一緒に呑みましょー。いつにしますか?(早すぎ)
「デザイナーベビー」って単語を知らなかったんですが,それって「親がこれと狙った(遺伝的)特徴を持つ子」で良いでしょうか。何はともあれこの仮定が正しいとして:),俺は「なんとなく不安」ではないです。えーと,デザインした結果や,それによって起こるよしなしごとが不安かどうかではなく,デザインするというその行為自体が,ヒトの範疇を超えてると思う。別に○○教(好きな文字を入れて下さい)だからとかではなくて,素朴な宗教感としてイケナイ事のような気がする。ヒトってのは,そんなにエラい存在じゃないと思うんですよ。これは絶対に反証不可能なので,絶対俺の勝ちです(おい)。
それはともかく,「線を引きたがる」っていう特性の存在は,確かに面白いですね。でも,「線を引かない」というのは全てを許容するのか? 全てを否定するのか? 「線」がない状況ってのは,どっち(もしくは全く別の何か)を意味するんでしょうか。何も基準なしに好きにやればってこと?(それは全てを許容するのと何が違うんだ?) ま,「なんとなく不安」なのは肯定します。俺は,ヒトがヒトをいじるのが不安でしょうがない。で,あえて聞くけど aito さんはどう思いますか? レズビアンは置いといて,人工受精の時の「人種指定」と「聾指定」について。
Youmon さんにも,まず『「人種指定」「聾指定」の両方について,それぞれ肯定的か否定的か』という質問に答えてもらえたら,と思います。この手の話題は抽象的な話になるととめどなく広がっていきそうなので,まずは具体的な問題について,自らのスタンスを明らかにした上で議論した方が生産的になるのでは。学問のあり方についても言いたいことはいろいろあるけど,それはそれでデカイ話なので,改めてじっくりやりたいです。
養子については,それこそ需要と供給の双方で意見が一致すれば,なんでも良いんじゃないでしょうか。俺が嫌なのは生命を「作る」ってとこなので,養子はあんまり気にならない。明らかに子供を幸せに育てられないと思ってる人がいて,一方でその子を引き取ったら子供も自分も幸せになれると思う人がいればそれで良い。それでみんな幸せ。問題なし。映画とかで「この子はなかなか良いかな。こっちの子はちょっと騒がしくて嫌。」なんて孤児院でやってるのは,聾児を求めるのと同じくらい病的ですよね。でも,自分の子を選ぶんだもん,それくらいブツブツ言うのはしょうがない。
最後に,「(ホモな結合なのに)どうして子供をつくろうとするの?」って話ですが,その理由はやっぱりヘテロな人たちと同じなんじゃないでしょうか。ヘテロな人達は,どうして子供を作ろうとするの?(修辞的疑問文) というわけで,俺の視点は Youmon さんとは違います。「私は子供ができない身体なの!」「いいんだ,僕には君が必要なんだ!」って状況と同じでしょ(ま,他の人を選べば解決するかどうかという違いはあるか)。この話で俺が聞きたいのは,『精子をもらってくる場合の「人種指定」「聾指定」の両方について,それぞれ肯定的か否定的か』であって,それがホモなカップルであろうがヘテロなカップルであろうが変わりません。そこが気になるなら,ヘテロ(で多分不妊症)なカップルの場合でどうぞ。
「ヘテロ」「ホモ」発言が言葉足らずだったので,補足しようと訪れましたが,時すでに遅し(苦笑).
「ヘテロ」「ホモ」の区別から出発して,「ヘテロ」同士でも不妊である場合は自分以外のブツを借りてくるのだから,そこで,「ヘテロ」と「ホモ」が同一線上に並び...という形で段階をおっていくと議論が整理しやすい,と考えてのことだったのです.もちろん,大'さんは「人工授精」にすでに触れてますが,順を追って「指定」へ行き着く段階をひろいたかったというのがありました.でも,どうも私は自分の議論形式にこだわりすぎているように思い,またしても反省.
「指定」の問題については,私は現段階では「指定なし」派です.「指定あり」にしてしまうと収拾がつけにくくなるから.私の疑問は,
ニキさんwrote:
自分たちと似ている、あるいは、パートナーと似ているという理由で精子提供者の人種の指定、聾も含めた身体的特徴の指定は、アリ。
その方が、自分や周囲が質の高い子育て環境を準備してやれると思うのであれば。
については,身体的特徴の指定で,例えば,どちらかが「モデル」としての身体的特徴をもとに,身長何センチ以上,白人,顔と体のシンメトリー度いくつ...とかに言及してきたらどうする?というもの.「将来はモデル文化を背負わせるのよ」が養育の主張.実際に,美人モデルの卵巣を集めてウェブ上で売買していた人もいますから.2年位前のアメリカの雑誌(名前は忘れた)に載っていましたよ.
大'さんwrote:
学問のあり方についても言いたいことはいろいろあるけど,それはそれでデカイ話なので,改めてじっくりやりたいです。
と書いてくれていますが,私はここではそのような議論をする気は今のところありません.それから,私がこの掲示板を一番最初に訪れた時に書きこんだように,今までの問題に関する「議論を蒸し返すつもりはない」のです.「指定」についても回答を控えていたのですが,大'さんからのじきじきの「指定」がありましたので(笑),回答しました.4月の末からは,私はほとんど議論に参加できないような状況(時間・場所的)に入ります.それについては,私が自己中心的だといわれればその通りだと認めます.中途半端な関わり方を申しわけなく思います.しかし,ここで,皆さんと会話を持てた事には深く感謝しています.どうも有難う.うーむ,寝不足だが,さて,出かけるぞ!
えーと,この「線」については,ずいぶん前の出生前診断の告知問題とも共通 すると思うのですが,
ちなみに,現在それぞれについてどう考えているかというと,
まず、定規を左手で持ってえー、(違)
「モデル文化」の話って,自分たちと似ている、あるいは、パートナーと似ているという制限の中で,何が問題になるんでしょう? モデル卵巣売買の話は,この制限がなくて財布の事情で決まっちゃうから話が別ですよね。
いろいろ考えてみたけど,線を引きたくなるのは倫理観の表明として,かなぁ。俺が「それはいじったらイカンて」と思ってる事を「やってみたーい!」と思う人もいる訳で,どうもそれを引き止めないといけないような気分になる。で,どこまでが「いじったらイカン」のかって線が欲しくなる。ちなみに「やってみたーい!カネならあるで〜」を引き止める…って話にすると,一気に対ブルジョアジー階級闘争に変貌する。われわれはー斗うぞー。おー。(違)
学問のあり方については改めてじっくりというのは,「その話はおいといて」と読み替えてもらえれば良いです。御心配なく。議論する気がないなら「学問が(一定の条件の下で)悪魔にでも奉仕してしまう」なんて書かなきゃ良いのだ。そういうのを刺し逃げという(言わないって)。
色んな意見(立場)が表明されているようですが、私は、今のところ 大'さんの意見にほぼ共感しています。 私は、精子銀行が NHK の特集とかで取り沙汰され始めた頃 (数年から10年前?)、提供者の「人種」「知能指数」「健康体」 「スポーツ万能」「芸術家」等々を選択できるということに (ちょっとどころではない)不安を抱きました。 #あと、(出産能力のある)女のみが利用可能なシステムだという点も #ひっかかったけど(非婚で自分の子を育てたい男のためのシステムは?)。 しかし、マスコミや世間はあんまりそこのところは問題視している ようには思えませんでしたので、今頃、「聾指定」をする人が取り沙汰された 途端に騒ぎ出すなんてのは、確かに「二重基準」だなあ(やってることは 前からさんざんやられている「人種指定」と変わらないのに)とは思います。 私は、(「無宗」教だけど)自分には割と理想的に思えるような社会 (例えば、あるばらつきで色んな人が生まれてきて 色んな生き方が許容/尊重されるような方向性)と、 それとは正反対の理想的ではない(怖い)と自分には思えるような社会 (例えば、全ての人は、精子/卵子選別なりクローン技術なりで、 「肉体労働者用」「頭脳労働者用」「芸術家用」「スポーツ選手用」等々 の用途に特化した適性を与えられて生まれてきて、性別役割ならぬ 遺伝子別役割をまっとうして生きていかなければならないみたいな方向性) とをなんとなく思い描いていて、 精子で「人種指定」とか「聾指定」というのは、どうもその理想的でない 方に一歩近づいているのではないかなあという不安はあります。 つまり、この世に生まれてくる人間の種類(の分布)を、 親や社会の要望に応じて調整するということにはどうも抵抗を覚えます。 「個々人が自分たちの要望に応じて選別したところで、ある人は、 耳の聞こえる子を望み、ある人は、耳の聞こえない子を望むから、全体としては じゅうぶんにばらつく」と楽観的に見積もることは私にはできません。 「選別可能になると、大部分の人が五体満足健康体の子を望んでしまう ために、ますます五体不満足の子が少数派になる」といったことが 起きることの方が私には想像しやすいです。 #子供を「金髪白人」にしようという人がどんどん増えて、 #少数人種になった非白人が異常人種扱いされるとか。 同じ人種の子が欲しいとか、五体満足な子が欲しいとか、同じ障害の子が 欲しいといった特定の選別をしたい人は、精子/卵子/受精卵(自分たちの も含めて)を選択/選別して生むのではなく、(既にある分布で生まれてきた 色々な子供の中から、自分たちの要望に合う)養子をもらうのが筋かなあ という気はします。 #なんて言ってしまうと、 #「可能な限りの手段を講じて(出生前診断とか)なんとしても五体満足健康体の #子じゃないと絶対にイヤ」という訳じゃないけど、かといって、殊更に #病気や奇形の発生確率を積極的に高めようとも思わないから、 #妊娠中の酒やタバコや薬を控えるというのも筋が通ってないことになるのかなあ。
「養子をもらってくることにさえ、『偽善』とか『お偉い』とか『無理してる』とか言われることがある世 界」で死ぬまで生き続けなきゃならないと思い出させられるからなんだろうな。
ここではある程度、まだ落ちついて話ができるのかもしれない。 ヨソでは、同じ件に関して、別人かと思えるくらい牙むいちゃったし。
「自分の子がほしい」から,人の精子を借りるわけだ.それなら良好な親子関係の 成立に必要な条件は考慮して悪くないはずで,(生物学的な意味で)親と同じ人種の精子を使うのは そんなに問題なワガママとは思わない.少なくとも社会的な悪影響は少ない.もちろん精子バンク自体の 是非は問わないという前提の上での話だけど(養子をとればいい,という話ならばむしろ簡単). つまり,精子バンクを使って赤の他人の精子を使うのならば,その出所は問わない. 問わないけれど,生まれたときに親子関係の成立に困難が生じるのであれば, それは事前に考慮していいのではないかと思う.
ロードオブザリングスを見てきたせいじゃないとは思うけど,周囲がみんなエルフばっかりで, エルフの奴らと来たら人間に見えないものや聞こえないものまで感じられるらしい. で,人間の夫婦が自分たちの子をほしいとおもったとき,「エルフの精子なら使っていいよ」と 言われたらどんなもんだろう(指輪物語の世界では,混血が可能なのだそうだ). 自分の子が,親の見えないこと聞こえないことまで感じられるときどう思うかとか. もっともリンコさんの関心事はこのあたりではなく,その立場の子どもから見てどう思うかという 話なのだけれども.
以下は本筋と関係のない話.
うちの保育所にも,両親が聾の子がいた.子どもの方は聴覚障害を持たないので,たぶんリンコさんの言う CODAになるのだと思う.先日保育所を移ってしまったのが残念だけれども(近所の保育所の空きがなくて,遠いうちの保育所まで通っていたのだ).以下は間接的に聞いた話なんだけど,たとえば子どもが風邪を引いて 高い熱を出したとするでしょう.いったん親が眠ってしまうと,夜中に容態が悪化して苦しんでもその 泣き声が聞こえず,目を覚ますことができない.だから夫婦が交代で起きて 必ずどちらかは起きるようにしていたとかってことだった.そういうことは,聞かないとわからない よなーと思ったのだった.
えっと、周囲の環境の整備により防ぎようのあるワガママと、そうでないワガママってあるかも。 あるいは、「規制で防ぐのが向いているワガママ」と、「説得で防ぐのが向いてるワガママ」と、 「環境の不備ゆえにたまたま今だけ現れているワガママ」。 具体的にって言われても今は無理。 とりあえずアイディアのスケルトンだけ。
立岩真也 (1997).『私的所有論』.勁草書房
は,これまでの議論に興味がある方にはとてもおすすめです. 「人工授精」,「体外受精」,「配偶者」,「非配偶者」の問題を説明してくれています.
あ,私「刺し逃げ」してた(笑)?
一応、まだ生きてる。 『弱くある自由へ』も読んでるんでしょうね? もう。
刺され逃げごめん。許してね。
「刺され逃げ」ってのもあるのか。(^^;; まぁ潮時かなって気もしないでもないなぁ。(^^;;;; ま,実生活が落着いたころにまた会いましょー。…って,実生活が大変な時こそ web に逃避するのか?(そりゃ俺だ)
後藤さん,久しぶり〜。珍しく意見が合ってるようですな。(^^;; 後藤さんの「理想的に思える社会」は俺も支持します。ただ現実の社会はそうではなくて,その人がどういう特徴を持っているか,その特徴が親/学校の友達/近所の人/…と共有されてるかどうか,なんてとこで暮らしやすかったり暮らしにくかったりする。なので,生まれてくる人間の特徴を制御するって需要も出てくるし,現に行われている。結局は,こういう現実との擦り合わせをどうするかってことなんでしょう。そうすると「こういう現実」ってどういう現実ですかってとこで引っ掛かる。いろんな人の具体的な情報が(特に当事者からの情報が)バンバン拾えれば良いけど実際はそうも行かないんで,足りない分は推測を交えざるを得ない。その推測の確度を上げるためには,こういうとこでぎゃーすかぴーと言うのが近道かなと。
それにしても,子供の泣き声が聞こえないから起きてないといけないってのは,言われてみれば「確かに!」なんだけど,思い付かないよなぁ。
そう言えば昔,某芋煮会で,始めて会った人と喋ってたことがある。で,1時間以上話した後に,すごい驚きが待っていた。「耳が全く聞こえない」って言うんだもん (^^;;。唇をバッチリ読めるし発話も普通なので,全然気付かなかったのだ。後ろから呼ばれるのと,そっぽ向いたままの人と喋るのはさすがに無理だって言ってたけど(そりゃそうだ)。話の流れとは全然関係ないけど,ふと思い出したのだ。
書くの忘れてたけど,4/13 夏油に行ったのだ。なんか直前に雪降ったらしく,表面はねっとりした腐れ雪。10 時頃滑り出しだったんだけど,たまたま同じ日に来てた知り合い(チーム以外)が多数いて,割とのんびり滑る。午前中にゴンドラ下のコースを5本ほど。このコースは,最後の平らなとこ以外はひたすらコブなのだ。
うちのチームで新モデルの板の試乗会やってたので,午後からはいろんな板をとっかえ引っかえ。165cm とか短いのは,先落とししても衝撃吸収にならなくて,俺にはどうも合わないみたい。Lizard は固すぎてダメ。Fisher の Lunar (181cm) がなかなか良かった。1080 には乗ってないので,それがちょっと心残り。でも,3 時頃には雨が降って来たので撤収。
さぁて,GW 明けの月山まで,どうやって繋ごうかなぁ。GW 中はエコーラインの雪渓に行くとして…って,残りは今週末だけだな。(^^;;
で,4/14(日)は GTi-R のタイヤを交換。夏タイヤだとハンドル重いぞ。しかしグリップは格段に違う。スタッドレスだとリヤが流れるくらいの速度でコーナーに突っ込んでも,夏タイヤだと「キュ」とも言わない。当たり前っちゃ当たり前なんだけど,半年ぶりだと感動的だ。
『弱くある自由へ』はまだです.「‘がんばらなくてもいい’と言える社会でありたい」というキャッチコピーには惹かれますね.
ニキさんのお奨め本ならば読みます.
ところで,
「刺され逃げごめん.許して」とか言わないで下さい.私は「刺した」とかそういう物騒な気持ちは全然ないんですから.結構,議論って喧嘩みたいにとられて「勝った」とか「負けた」とかいいますが,その表現って実は私には違和感があるんですよね.今の私にとってあくまでも,議論をするって「勝負」というよりは,自分の無知さを知るためのものだったり,自分の独善的な考えを世に問うたりする建設的なものなのです(もちろん,個人的見解ですから突っ込まないで〜,と逃げておく).だから,ニキさんのこれまでの主張は(あ,もちろん他の方々の意見も)私にとってはよい刺激になりました.ニキさんのホームページの内容からも学ばせてもらえたし...「閉ざされた環」ではなく「閉じた環」なのだ,ね.ホームページの表紙が虹色でしたよね.それってニキさんの思いなのかなぁ,と自分勝手に想像したりして.
おそらく,すごくお疲れになったと思います.
私もそろそろ引っこもうっと.....
最後に,「偽善的」って言葉は心に刺さりますね.あ,この表現はまずいか(笑).自分に照らし合わせてみて「善」だと思って行動をしている時の自分ってどんなんだろう?とか.「強者」から「弱者」へと向かう善的ベクトル方向はおそらく行動形態としてはムズカシクないのだろうな,とか,それから「優越感」などを得ていたら「偽善」だろうなぁ,とか...ただ,一歩どこかでボタンがずれれば,私がこうして「健常者」であるかどうかなんて分らないんですよね.これからだって,いつどんな事故に遭うかなんてことも分らない.あ,ヤバイ.終わらねーじゃん!っちゅーことで,自分の思索は終わらせませんが,ここへの登場は一応終わりです.ホントありがとさんなのでした.
えーと,通じてないかなーとは思ってたんだけど,その想像よりさらに通じてなかったようなので説明しておきます。
まず,俺が言った「刺し逃げ」ってのは別に議論の結果についてじゃないです。だいたい,俺が「刺し逃げ」って単語を使った「学問のあり方」ってネタでは,議論してないですよね? ネタを振っておいて(例:学問のあり方がどうたらって話が出た掲示の最終段落),しかもそのネタの振り方が特定の人達(例:科学者など)を不快にさせる(例:「悪魔にでも奉仕してしまうような可能性を危惧します」など)にも関わらず,「そのような議論をする気は今のところありません」とか言うのを「刺し逃げ」だと書いたんです。要するに,人に怪我させて怒られたくなかったら,人がいる方向に石を投げるなってことです。喧嘩を売るために石を投げたなら,相手は逃がしてくれません。
で,リンコさんの「刺され逃げ」ってのは,けいじわんにおける(その前もあるけど)一連の聾ネタについてでしょう。Youmon さんは「(deaf は)医学・生物学的な機能としては明らかに通常ではありません」って書いたり,「障害者の生活世界に入っていけ」って十把一絡げにしたり,それらについて指摘を受けてもまともに返答しなかったりしてました。この辺りで石を投げまくってるのに,それを自覚できてないわけですよ。 その挙句に「議論を蒸し返すつもりはない」などと議論打ち切りをほのめかしている。ちなみに4月末までには,この話題がなんでも3で始まってからよりも長い時間が残されているのだ。「学問のあり方」について「刺し逃げ」って単語を使ったのはこの事に気付いて欲しかったからだったんですが,「あ,私「刺し逃げ」してた(笑)?」とか「私は「刺した」とかそういう物騒な気持ちは全然ないんですから」なんて発言から考えると,全く通じてなかったようですね。
ところで,直前の掲示で「議論とは何か」を論じてるのを見て,かなり驚きました。上の段落で「指摘に対してまともに返答しなかった」って書きましたが,そこでまともに返答する(反論するなり賛成して自説を撤回するなり)ってのは「議論」の基本ですよね。それすらちゃんと出来てないのに,噛み合った議論をしてる人達に,「議論のなんたるか」を講釈しちゃぁイケマセン。
まぁとりあえず,難しそうな単語を振り回すよりも,普通の言葉で自分の考えを筋道立てて表現することを考えるべきでしょうね。用語の定義をきちんと説明出来ない単語は使わない方が良い。
今週中に終わらせるぞー!リスト。
そんなに終わらねーっつの。
ところで,ヒドいサイトを見つけてしまった。メールマガジンの登録ページ (http://journal.msn.co.jp/mail.htm) なんだけど,一番上の「MSN ジャーナル・ダイレクト」ってとこで(他の2つは試してない),好きな mail address を書いてアドレス登録ボタンを押すと,メルマガへの登録が完了します! 本人確認なんかなしに「登録完了」メールが届くので,簡単便利! お友達の分も勝手に登録してあげよう!
と,ここまでで十分腹立ってたんですが,「登録完了」のメールが 3 通も来ました。「MSNジャーナル・ダイレクト」の他に,このサービスをしてるとこらしい melma! がやってると思われる「melma!ニュース」と「今日のmelma!」。そんなもんに登録した覚えはないっつの。で,「MSNジャーナル・ダイレクト」を読む気はないので,同じページでアドレス削除ボタンを押すと… 「MSNジャーナル・ダイレクト」の「退会完了」メールが届いた。他の 2 つは登録されたままやんけ!
他の二つは,「登録完了」メールに書いてある「削除用 URL」を使わないと退会できないようです。spam だと思って捨てちゃった人は,あきらめて愛読しましょう(おい)。こういう常識のないサイトが存在してる事がとても不思議。やるなとは言わんから,どこか他の星系でやってくれ。
とつっこみをいれてみる。大目に見て明日まで。日曜日は来週。
だいたい終わったぞコノヤロー! 返事待ちがいくつかあるけど,それは俺にはどうにもできない。
昨日の夜中にごそごそと PowerMac G3/266 のクロックアップしてたんだけど,366MHz では起動音すらしなかった。しょうがないので 333MHz に落としたら,起動音は鳴ったけどそれっきり。結局 300MHz にしかならなかったのだ。つまらーん!
今回は bus クロックは 66MHz のままで PLL 倍率をいじってたんだけど,このままじゃつまらんので bus クロックを上げてみようか。でも,CPU クロックはどうせ大して上がらないんだろうなぁ。確かに Gossamer はクロックアップマージンが少ないんだけど,ここまでシビアだとは。
週末モードに突入。春メニューになった花ごっこでまだ呑んでないので,これから行くのだ。この掲示を見て間に合う人は乱入 ok。(いるのか?)
関係ないけど小ネタ。「ブランコの揺らし方」で特許なんて話が。なんだかなぁ。世界中から「ブランコを横に揺らしたいので御許可を!」って連絡が殺到しないことを祈ろう。(^^;;
逆の方が面白いのにね。 犬に例えれば何歳、とかさ。
PowerMac G3/266 は,70MHz x 4.5 = 315MHz でも起動した。試しに SETI@home を起動すると,1分もしないうちにシステムエラーが。しかも再現性が非常に高い。(^^;; っつーことで,うちの Gossamer は 66MHz x 4.5 = 300MHz が限界みたい。キャッシュのコア昇圧でクロックアップ耐性が上がる,なんて話もあるみたいだけど,そういう事はもう1台拾ったら考えよう。
ところで dog year ですが,「あんたは犬的には二百何十歳」なんて言われてもピンとこない。「○才の犬に相当」の方が確かに面白そう。でも,犬種によって成長速度が違ったりしないんだろうか。…と思ったら,こんなとこやこんなとこを見ると,犬種と言うよりは大きさによって違うらしい。大型犬の方が成長は遅いのに老化は早いんだそうで。なんか不思議な感じだ。なんでだろ。
おぉ。dog year で 280 才になった福井さんだ。83.3MHz x 3.5 は試してないんだけど,bus clock が速いと方々に影響が出そうで。(^^;; まぁハッキリ言って,G3 の速度は 266MHz でもぜ〜んぜん不満がないので,きっとこれ以上はやらないと思う。速いマシンがもうちょっとくらい速くなっても,そこにはロマンがないのだ(逃げ口上)。なんかこう「おぉっ」というような改造ってないもんだろうか。SE/30 かと思って電源入れたら Sun OS 4.1.4 が立ち上がる,とか(L/B が入らないっつの)。
そういえば,日曜日に TBC(東北放送。うちから歩いて3分ほど)桜まつりってのに行って来たのだ。今年は桜は時期を過ぎちゃってて何てことはなかった(シダレザクラだらけなので,いつもならこの時期)けど,まぁ出店で昼飯喰ったりとか。したら,メインステージに RUN & GUN だかランランカンカンだかリンリンランランだか(おい)ってジャニーズ若手っぽい人達が出て来た。娘どもがキャーピー言ってるのはうるさいけど,まぁいい。でも,歌声と合いの手(「ハイ!ハイ!」とか「イェー!」とか)が,ボリュームも音質(エフェクトのかかり具合)も全く違うってのはちょっと… 口パクなら口パクで全然構わないんだけど,もうちょっとうまく出来ないもんでしょうか?(^^;;;
たじまさんも御無沙汰です。五州貿易はこういうの好きですよね。でもこういうのって,買って来るだけで楽しいものか?(^^;;
たしかに iMac は L/B が小さいから SE/30 でも入るよな。しかしどうせやるなら CRT もカラー化するべきなのでは。ただ,9 inch カラー CRT だと奥行きが入り切らないんだよな。…って,最近は液晶があるじゃないか! そしたらスペースがかなり空くから,DVD drive なんかも楽々入るはずだ。うーん,他人事だと気楽だ。(おい)
L/B から何からごっそり入れ替えるってのは,もはや「改造」と呼べない気がする。単なる「詰め替え」って感じ。ま,「工作」である事は認めますが。:) それにしても,五州貿易の古 Mac って高すぎ。
MacSSH の 2.1fc3 が出てた。zlib 1.1.4 を採用した版。まぁ,Mac OS で使ってて,zlib の bug がどれくらい効くのかは疑問だが。(^^;;
ところで MacSSH を EUC で使ってて,ことえりから 2byte 文字を突っ込むと,必ず 8 文字めで文字化けするという現象に悩まされております。誰か同様の現象が出てる人はいませんか? どうせ文字コード変換のアルゴリズムがおかしいんだろうと思って CVS から MacSSH のソースを持って来てみたんだけど,make 出来なくて追えないのだ。lsh のソースが腐ってるっぽい。くそー。
…なんてやってて見つけた MacCVSClient。使い方はまだイマイチ把握できてないけど,なかなか便利そう。
いかん。このペースでは,雑誌記事の原稿書きが間に合わない。(^^;;
内緒で引越ししといて「今すぐ network 使いたい」って言われても対応できないの! 電話だって何日か前に連絡するでしょ! 間に合わないよそんなの!
…って user が悪いわけじゃないんだけどさ。引越し計画を仕切ってるのは,一体誰なんだ〜。配線工事にはソバ屋の出前より時間がかかることくらい分かってて欲しいぞ。光ファイバ張るなんて話になったとしたら,2ヶ月くらい前に発注してもギリギリなんだからー。
ビックリするユーザの行動。454、動く印刷物。